教師たち


宮崎駿さんの発言を収集、編集しているツイッターアカウントがあって、時々見ています。
その中で、「子供がある肯定的なものに作品の中で出会ったときに、こんな人いないよとか、こんな先生いないよとか、こんな親はいないよって言っても、そのときに「いないよね」って一緒に言うんじゃなくて、「不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない」って僕は思うんですよ」
っていう文章を見つけて、深く頷いた。

宮崎監督は、そのbot内の他の発言では、なかなか自己中心的だったり、狭量なものの考え方をしていたり、別に「良い人」ってわけでもなさそうなところが逆に面白くて好きなのだけれど、でもこの発言は(本人非公式の、編集されたものであることを踏まえても)、いいこというなあと、思った。

わたし自身は、子供時代を本当に無考えに、日々お気楽に生きていたせいか、学校にも、教師たちにも、深い恨みとか強い不快感とか失望とかを、おそらく持ったことのないまま成長した。

個性的な先生はいたし、ちょっと尊敬することはできないな、と思う先生も、正直言ってがっかりさせられた先生もいた。でもそんな彼らと共に過ごしたこれまでに通ったどの学校も、総じて楽しかったという記憶が残っている。


わたしの知り合いには、教師に対して深い嫌悪感情を未だに生々しく持っている人もいる。その教師に嫌悪感情を持つに至った理由を聞くと、納得できるものだったりもして、気の毒な目に遭ったんだな、心を傷つけられたのだな...と思って気の毒に思う。
そしてその知り合いは、「世の中には良い先生というものが存在する」ということを、本当には信じていない。
「教師たちというのは、基本的に嫌なやつらだ」と思っている。

「教師たちの中にも、良い先生となってくれた人もいるよ」と言っても、それは特別な人が特別な体験として、たまたま経験した「運のよいこと」だと解釈していることが伝わってくる。


いろいろな性格の大人がいるように、いろいろな性格の子供がいるのだろう。同じことが起きても、個人によって受け取りかたは全く異なる。

わたしの子供時代のように、早熟で自立心は旺盛でも、救いがたいほど脳天気な性格だった子供は、大体誰と遭遇してもあまり気にならないだろうし、敏感で繊細な子供は、大人の欺瞞や嘘にいち早く気がついて、きっと深く傷ついたり、不信感を持ったりしただろう。

また、物事を、どっちの面からまず見る性格か、というのもあるんだろうなと思う。何かが起こったとき、自分にとってポジティブな面から見るか、ネガティブな面から見るか。それのどちらがより深く印象に残る性格なのかという違いも。

どちらの性格が良い悪いという話ではもちろんなくて、どんな性格の子供たちにも、それぞれの性格だからこそ受け取れるギフトはちゃんと用意されていると思う。



わたしが願うのは、子供のころ、学校で良い教師に恵まれなかったし、良い教師というものが存在するなんてやっぱり信じられない、という大人が、今や未来の日常生活の中で、よい先生たちに出会えたらいいなということ。


何かの専門家として知恵や技術を教えてくれる先生もいれば、教えてくれているつもりはないだろうけれど、体全体で何かを教えてくれている人もいる。

「教師」って、本当にいろんな姿かたちをしている。

彼らはたとえば繁華街の飲み屋にもいたし、地下鉄のホームにいたおばあさんであったこともあったし、一時期一緒に楽しく過ごした友人であったりもした。よその家の飼い猫や、早朝に現れた一匹の蜘蛛であったこともあった。

自分が解放されたかったある辛いことからついに解放されたときの、一番の尽力者が「苦手だった人」や「名前以外のことはよく知らない人」だったこともあった。


学校という場所では良い教師に恵まれなかったとしても、別のどこかで良い教師に出会える可能性はごろごろある。

そういう意味では、わたしなんか年がら年中、教師としか会っていないみたいなものだ。「よくこんなに教わることがあるな」というくらい、教えてもらうことばかりの毎日だ。


ツイッターの文面に戻るけれど、「良い教師や良い大人なんていない」って思っている子供に対して、「不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない」って言える大人が増えることが、沢山の子供の心を助けることになるんだろうなと思う。「そうだ、いないよ」と言われたら「もうおしまい」という気持ちになるけれど、「まだ出会っていないだけなんだ」と言われれば希望は残る。

そしてそれは嘘じゃない。

「良い教師」はこの世界に絶対にいるもの。

「不幸にして君は出会ってないだけで、どこかにいるに違いない」と子供に言った大人こそが、その子供にとっての最初の「良い教師」になるかもしれないし。


中には学校の教師から、魂の虐待に当たるような、日常生活をそれ以降普通に送れなくなるような、ひどい扱いを受けた場合もあるだろう。
そういうケースにも、わたしがここで書いた考えが、当てはまるかどうかは分からない。
でも実際に、良い教師に出会った経験がある大人として子供たちに言えることがあるし、それが役に立てたらいいと思う。


わたしの古くからの友人にも、教育者として日々子供たちに接している人たちがいる。

ツイッターを読んで、彼らのことを思い出した。

彼らも人間だし、教師という仕事にも大変な側面は沢山あるだろう。それでもわたしが知っている彼らはきっと、子供の心にきちんと寄り添って、つとめを果たしているんだろうなと思う。彼らの子供時代を見ているから、すごく安心してそう思っている。





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