子供を持つ世界

この間、古い友人と一緒に出掛けた。

用事を済ませ、散歩をすることに。

友人にはまだ小さな子供がいて、一緒に散歩した。

車通りの多い道を、三人で歩いた。友人の子供はやっとひとりで歩き始めたところ。もう何を見ても興味深々で、小石なんかを拾っては、大事に握りながら歩いたりしている。

ほんの数か月前に会ったときは、確かまだ立ってもよろよろしていた。もっと「赤ちゃん」のようだったのに、今では自分の力で好きなところまで歩いて行く。

子供の成長は本当に早いねえ、というようなことを友人としゃべりながら歩く。

でもふたりして常に子供に目は行っている。わたしは、小さい子の生態をよく知らないので、もうとにかく見ていて心配ばかりしてしまう。

歩けるようになったとはいえ、時々すとんと(くにゃりと?)転ぶし、とても危なっかしく見えて、すごくハラハラする。

さすがに生まれたときから彼を見守っている友人は落ち着いていて、すごいなあと思う。


この国の人は、子供に冷たいという話をあちこちで聞いたり見たりする。

普段、人が多いところに行く機会があまりないせいか、あまりよく分からない。

自分が「よく行くところ」と言えるのは町のスーパーかドラッグストアか図書館かだけれど、そこでは子供が冷たくされているのを特に見た記憶はない。


友人の子供と散歩しているとき、沢山の人とすれ違った。

それはもう色々な年代の人とすれ違った。わたしたちは子供から少し離れたところを歩いていたので、子供と対峙したときの人々の反応、表情がよく見えた。

ただのひとりも「なんだよ、ちょろちょろして邪魔だな」というような顔をしていなかった。

おじいさんもおばあさんも、おじさんもおばさんもお兄さんもお姉さんも、たいてい笑顔か、ちょっと口元をほころばせて、子供が通りやすいように、驚かないように配慮してくれたし、子供によく話しかけてもいた。

わたしが一番いいなと思ったのは、小学生から中学生くらいの子供たちの反応。

ちょうど下校時間と重なっていたので、何人かの子供たちともすれ違った。女の子たちはかわいいかわいいと言っていたし、中学生の男の子たちはにこにこしながら「ちっちぇー」と言っていた。

友人の子供は、自分のことを言われているとも知らず、マイペースに冒険を続けている。


子供を持つ世界のことは、よく分からない。

子供が小さいうちは特に、ただひたすら大変そうだな、と思ったり、あんなかわいい子がいつもいつもそばにいて笑ったり泣いたり成長したりしている様子を見ることのできる幸せは、それはもう大きく、かけがえのないものだろうな、と思ったり、様々な思いがある。

でもその日、多くの見知らぬ人にやさしくしてもらっている友人の子供を見て、この世界に子供がいることっていいものだなと思った。




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